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生命保険会社と国債

生命保険会社は保険契約者との間に定めた運用益を上げなければ逆ザヤになるわけで、世界的に景気が低迷する中で、資金の運用を株式から国債へとシフトさせているようです。
しかし、国債頼みの経営では、銀行がそうであるように、国債の暴落局面では金利が上昇して大きな損失を蒙ることになりますから、国債頼みから脱却する資金運用が必要でしょう。
posted by mabou at 22:22 | 保険の歴史

生命保険の歴史

生命保険も海上保険の流れを汲んで創設されており、保険加入者の死亡に際して保険金を支払うシステムになっていますが、近代確率論による生命表(死亡表)が作成されるまでは保険というよりは一種の賭博の領域にとどまって発展することはありませんでした。
死亡表は各年齢に達した人が一年後にどれだけの割合で死亡するかを数学的に計算したもので、これが作られたことによってはじめて年齢別の死亡率から年齢別の保険料の算出が可能となりました。
当然のことですが高齢になると死亡率は高くなり保険料は高くなるのですが、保険料負担が大きくなりすぎますと保険加入が困難になるという問題も生じ、この問題を解決するため長期にわたる保険加入期間中の保険料を合計しそれを契約期間年数に平均して分割することで各年の保険料を同額にならした方法がとられており、この平均化された保険料を平準保険料といいます。これによって保険加入を始めた若い頃は高めの保険料を払うことになりますが年をとってからは安めの保険料を払うこととなり保険の継続がしやすくされているといえます。
posted by mabou at 05:28 | 保険の歴史

保険システムの形成4

こうしてできたイギリスの海上保険の流れを汲んで火災保険も形成され、これはアングロサクソン系保険といわれて個人の損失を補填する商品として売買されるようになります。一方で中世ヨーロッパに同業者組合として発展したギルドという共済組合が創設した火災保険はイギリスの営利型の保険に対して相互扶助型といわれゲルマン系保険と呼ばれています。
こうして貿易の発展にともなって海上保険からスタートしてさらに火災保険の創設が続き、その後も資本主義経済の発達にともなって生じる様々な危険(リスク)に対応する保険が作られていくこととなって、現代に至るまで次々と新しい保険が生み出されてきています。
まさにリスクあるところに保険ありという状態で、スポーツ選手の足に掛けられる保険から宇宙に飛び出す宇宙船に掛けられる保険にいたるまでその種類の多さには驚かされます。
posted by mabou at 04:56 | 保険の歴史

保険システムの形成3

地中海貿易が東西の物品の交流で栄えた時代が過ぎ大航海時代の到来と共にアメリカとの貿易でスペインが、インドとの貿易でポルトガルが台頭し、貿易の中心が地中海商人からスペインとポルトガルの商人に移り、さらにその後は産業革命を生み出したイギリスが何度かの戦争を行った後に世界の海を制覇することとなってロンドンが貿易および金融の中心地になっていくこととなります。
その頃イスラム文化圏からコーヒーがイギリスにもたらされていて、コーヒーハウスが貿易関係者の商談など情報交換センターとして流行するようになっていました。こうした場所のひとつがロンドンはエドワード・ロイドのロイドコーヒーハウスでした。此処に貿易業者や金融業者が集まるようになってさらに個人保険業者が保険取引を行う場所としても最適ということもあって、保険取引をする個人保険業者が集まるようになり、後にこうした保険業者はロイズ・アンダーライターとして有名になります。
その後ロイズは私的なグループからロイズ保険組合に発展し世界の海上保険取引の中心的な存在になり、海上保険のほかの損害保険の引き受けも行うようになっていきます。彼らは共同引き受け機構(シンジケート)を形成して世界最大の保険業者になっていきました。
posted by mabou at 04:36 | 保険の歴史

保険システムの形成2

さらに金融業者が荷主から実際は借りていない資金を借り入れたという形を取って貿易業者が貸主となる貸借契約が結ばれるようになり、船が事故にあったりして目的地に着かなかった場合には貿易業者が金融業者から貸付金の返済を受けるという形式を取るようになっていきました。一方で無事に船が着いた場合は金融業者は借入金を返済する必要はなく、お金の動きとしては契約時に手数料として貿易業者が支払うお金のみとなり、このお金は現在の保険料に当たる部分と考えられます。
こうして現在の保険制度に近いシステムが形づくられていきました。
posted by mabou at 04:06 | 保険の歴史

保険システムの形成1

現代の保険制度に類似するシステムは古くは紀元前のメソポタミヤ地方において遠方との交易に携わった行商人が財産などを担保に金融業者から商品買い付けの代金を借り入れて、交易の成功時には元金に利息を付けて返済する一方、交易の失敗時には担保のみ没収される仕組みがすでに存在していました。
その後、当時の東西交易の重要な経路であった地中海の洋上貿易に同様のシステムが取り入れられて、貿易業者は金融業者から積荷などを担保に資金を借り入れ、貿易に成功すれば元利金に高い利息を付けて返済し、貿易が失敗すれば元利金返済は免除されることになっていた海上貸借という危険回避の方法が発達し、現在の海上保険の原形が出来上がっていたと見ることができるということです。
やはりリスクが存在するところ、それを回避する方法を人間は考えるものだということなのでしょう。リスク回避の方法は我々が現代において用いている保険という方法と原則的には変わりがなかったのです。
posted by mabou at 04:00 | 保険の歴史

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